自分を生きる

「ありのままの自分を生きる」自分とは何者なのか?幸せとは何なのか?自分に、他人に感じた言葉を紡いでいきます。

子供の自己肯定感を育てる

私の子供だから信用する

そんな条件いらないんじゃないかな?

「あなた(子供の名前)だから、大丈夫」

相手に対する絶対的信頼

子供に対する絶対的信頼

子供を一個人として信頼する

それだけでいいんじゃないか?

愛する母親(父親)から言われた

その言葉は

子供に、絶対的な

自己肯定感をプレゼントできるんじゃないかな?

「私の子供だから」

そんな条件すらいらないと思う

怒られたとき

怒られた時は

とても嫌な気持ちになるね

こちらのミスで怒られた時も

相手が一方的に怒っている時も

やっぱり嫌な思いをする

スーッとひと呼吸

そんな時こそ 自分を取り戻す

自分が悪いときも

相手が一方的に怒っているときも

その嫌な雰囲気に飲み込まれないで

冷静に現状の把握することと

その嫌な雰囲気に捉われない思考で

選択肢 解決法を見つけてみよう

生きていれば そんな日もあるから

怒られたという事実だけに

自分まで 見失わないこと

自分を出すには、本当のリラックスをしてみること

本当のリラックスって

なんだと思う?

リラックスとは、緩むこと

緩むことは、閉じている自分を開くこと

本当に 本当の 心の底からの

リラックスをしたなら

人って、自分を出せるんだよ

そしたら、そんなアナタを

素敵だねって集まってくる人たちがいるんだ

今まで、見せるの怖かった自分を

緩めて、出して、見せてみると

そんなアナタを好きだよって人が

出てきてくれるんだよ

でも怖いよね

リラックスするのも

自分を出すのも

嫌われるかもしれないから

その怖さも全部引き受けたときに

本当のリラックスができるのかもね

緩めるのも、閉じるのも

自分が選べるよ

どうする?

リラックスする?

「私」の「素晴らしい」を 重ねていく「勇気」

「こんな風に 頑張って

こんな風に 人の役に立って

毎日を大切にします」

アナタらしいね

心の底から そう望んでいるのなら

その生き方を応援しよう

皮肉でも バカにしているのでもなく

それで その本人が幸せなら

それでいいんだと思う

ただ 「私がそのように生きるか」とは

別問題なんだと 線引きが大切

人から素晴らしいと言われる生き方を

心の底から望んでいる人は

それはそれで本当に幸せだと思う

一方「私」は

誰かの「素晴らしい」に生きる自信も

合わせていく能力もなく

「私」の「素晴らしい」を

重ねていく「勇気」を持ちたいと思う

あなたの持っている愛で、自分を愛し、人を愛しなさい。

誰になろうというのか?

私という愛のかたまりを無視して、何者になろうというのか?

あなたの持っている愛で、自分を愛し、人を愛しなさい。

それがあなたの才能なのだから。

自分を生きることを恐れないで。
あなたはそのままで、愛のかたまり。